さあ06年前半の総決算! ホマレーヒロから歴史ははじまった
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作成日時 : 2006/06/20 19:39
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ホマレーヒロ、という名前の競走馬をご存知だろうか?
生まれは1956年(昭和31年)の4月26日。父トシシロは大種牡馬ダイオライトの直仔で、母が16勝を挙げた名牝クレオパトラトマス(繁殖名:月城)。ホマレーヒロの母は父をたどると3代目にゲインズボローに行き着き、歴史を感じさせる血統になっている。
そんなホマレーヒロが第1回の宝塚記念勝ち馬になる。時は1960年(昭和35年)、条件は阪神の芝1800m、ジョッキーは近藤武夫で、2着に3馬身の差をつける完勝だった。
宝塚記念は、春のGI戦線をしめくくるとともに、当時は圧倒的に競馬熱が低かった関西地区の目玉にしようという意味合いもあって、阪神で開催がはじまった。
暮れの有馬記念と同様に、出走馬をファン投票で選出する形がとられており、現在は3歳馬にも門戸が開かれている。施行距離には変遷があり、66年の第7回大会から現行の2200mに定着した(今年は阪神競馬場が改装工事に入るため、京都芝2200mでの開催に)。
第6回大会の覇者に三冠馬シンザンの名前が見える。15代のチャンピオンになったのがハイセイコー、18代がトウショウボーイ、29代がタマモクロス、30代がイナリワン、34代がメジロマックイーン、39代がサイレンススズカ、40代がグラスワンダー、41代がテイエムオペラオー。宝塚記念の歴史は、そのまま名馬の歴史にもなる。
個人的に忘れられないのが、01年の第42回大会だ。このレースでは連覇を挑んだテイエムオペラオーが2着に敗れ、GIでオペラオーの2着が5度もあったメイショウドトウが、宿敵を押さえて初のタイトルを手にしている。
しかし、勝負どころの4コーナーでドトウが内に斜行し(ジョッキーは安田康彦)、オペラオーはそのあおりを食って手綱を引っ張るほどの大きな不利を受けていた。直線では完全に圏外といえる状況になったオペラオーだったが、それでも自慢の末脚を爆発させて2着に飛び込んでいる。ドトウとの差は1馬身1/4だが、オペラオーのロスは3馬身はあった。まともなら着順は入れ替わっていた。
GIを勝ちまくっているのに、なぜか少し低く見られている部分があったオペラオー。そんな正当な評価を受けていなかったオペラオーを応援し続けていたので、この敗北は悲しかった。自分で相手に不利を食らわせておいて、「真の王座交替になってほしいし、これからも勝ち続けてほしい」などと話した安田の精神を情けなく感じたものだ。
昨年はスイープトウショウが史上2頭目の牝馬による戴冠を成し遂げた。1年が過ぎ、47代目のチャンピオンに輝くのはどの馬になるのだろうか? まあ候補は1頭しかいない気がするが、京都で行われる宝塚記念を存分に楽しみたいと思う。
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